通学定期券について

法大生♀(♂にもあるが…)のよくある会話。シチュエーションは帰宅時の正門前。

A:「駅どっち(市ヶ谷or飯田橋)?私飯田橋なんだけど…。」
B:「私は市ヶ谷を使ってるんだけど…、飯田橋まで買っても定期券の値段同じっぽいから、飯田橋まで買ってる。」

かくして、Bさんは飯田橋駅までの道のりをAさんとともにすることができましたとさ、めでたしめでたし…ではない。
こんな会話を聞いていて、私はいつも、「本当にそうなのか?」と思う。
飯田橋~市ヶ谷間も定期券の区間に加えている人の大半は、駅員に「値段が変わらない」と言われたからというのが理由のようだ。
駅員を信用しないというわけではないが、一鉄道ファンとしてはこの類のことを駅員に聞くのは恥以外の何物でもない。
そこでここでは、飯田橋~市ヶ谷間を定期券の区間に加えても値段が変わらないのはどのような場合か、具体的に検証してみたい。

飯田橋~市ヶ谷間を通っているのはJR中央・総武緩行線、東京メトロ有楽町線、南北線である。両駅には都営地下鉄も通っているが、飯田橋は大江戸線、市ヶ谷は新宿線と路線が違うため、ここでは考えない。
また大前提として、定期券の運賃は1kmごとに定められていて、普通の切符よりも運賃の上がり方が細かい。駅員にすら聞かず、駅の券売機の上の運賃表だけを見て「あっ、市ヶ谷まで(あるいは飯田橋まで)買っても同じだ」などと考えて定期券を購入するとつまづく可能性が大きい。 なお、運賃を計算するときは1km未満の端数は切り上げて計算する。同区間の東京メトロの距離は1.1km、JRは1.5kmなので、 同じ区分に含まれることはありえない。飯田橋~市ヶ谷間を余分に買っても値段が変わらないのは、2kmにわたって定期運賃が変わらないときである。
それでは実際に、どのような時に飯田橋~市ヶ谷間を余分に買っても値段が変わらないのか、東京メトロとJRのそれぞれについて分析していこう。

<東京メトロの場合>
東京メトロの場合は単純明快で、定期運賃は1kmごとに必ず上がる。したがって、有楽町線、南北線で通学する場合には飯田橋~市ヶ谷間を定期券の区間に加えても運賃が同じということはありえない。 ただ、1kmごとに上がる運賃の額は小さく、1か月の場合、乗車する距離が6kmまでなら200円前後、7~10kmなら120円前後、それ以上なら20~60円前後といったところである。

<JRの場合>
JRの運賃体系は複数あり、市ヶ谷キャンパスに通学する際に使われるのは次の3つである。

  1. 山手線の内側のみを利用する場合
  2. 電車特定区間内のみを利用する場合
  3. それ以外
※電車特定区間というのは、大船、高尾、大宮、取手、千葉、千葉みなとの各駅より内側の区間と横須賀線、青梅線、五日市線の全線が範囲である。ただし相模線、八高線、成田線は除く。

まず1.の場合、飯田橋~市ヶ谷間を定期券の区間に加えても運賃が同じなのは、水道橋、四ツ谷から乗る場合のみである。これらの駅の近くに住んでいる人は、徒歩か自転車かバイクで通学するだろうし(最後の一者は禁止事項だが)、地下鉄から乗り換えるにしても、四ツ谷なら南北線、水道橋なら春日で乗り換えて大江戸線か神保町で乗り換えて新宿線というルートにするだろう。つまり現実的でない。
次に2.の場合、一駅長い定期券を買っても値段が変わらないのは、「乗車駅」~「飯田橋、市ヶ谷のうち乗車駅に近い方の駅」の距離が
13.1~13.5km、16.1~16.5km、21.1~21.5km、25.1~25.5km、27.1~27.5km、30.1~30.5kmのときである。

そして3.の場合は、東京メトロと同様、飯田橋~市ヶ谷間を定期券に含めても値段が同じになるケースは皆無である。
なお、JRの場合は1kmごとに上がる運賃の額が東京メトロに比べて高い。しかも上がり方はバラバラで、同じ1か月定期の1km分でも、100円程度のときもあれば、1000円以上一気に上がる場合もある。

結論:法政大学市ケ谷キャンパスの学生はみんなバカ
   定期券を一駅分余計に買っても値段が変わらない場合は少ない。まぁ、それでも構わないという人もいるだろうし、本来なら市ヶ谷だけど飯田橋に行く用が多いという人もいるだろう。 ただ、実際は値段が違うのに同じだと思い込んで無意味に高い定期券を買うことのないよう注意してほしい。実際、今回調べてみて、値段が違うと知らずに飯田橋~市ヶ谷間を定期券の区間に加えている友人を3例ほど見つけた。自分の場合はどうなのか、飯田橋までと市ヶ谷までの値段を改めて調べてみることを勧める。 また差額を払ってでも飯田橋~市ヶ谷間を定期券の区間にしたいという場合でも、その差額が自分の利用に見合う額なのか検討しておいた方がいいだろう。、何しろJRの場合、1km違うだけで無視できない差にあることもあるのである。

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